2017年4月24日月曜日

フルスペックと流れ

多様なユーザへの対応方法が、なぜフルスペックとなるのでしょうか?

その背景には、
全てのユーザ要望を対応していないと売れない
なんでも出来ないと売れない
出来ない事があると使わない(買わない)

といったアサンプションがある気がします。

出来ない事があると使わない 

というアサンプションは、
出来ない事があっても売れているものと比べる事で除外出来そうです。

出来ないのであれば、出来ないなりに使う
というより、そう思わせる何かがあるから使われる。

使い易い、イライラしない、心地よい、自慢になる、見た目がイイ
から、○○が出来なくても気にならない。
出来ない事よりも、充足度が高い何かがあれば使われる。


となると、その何かを知る必要があります。
その何かをJOBと定義するとJTDBの考え方が活用出来そうです。
中でも情緒的JOBは今後、ますますポイントとなる気がします。

更には、一時的に製品を売って終了ではなく、
その何か(体験)を連続的に提供する為の接点や仕組み、体制を作り込む
と考えるのがリーンUXかと思います。

となると、体験と連続的にする為の流れを知る必要がある。
という事になります。

これまでの考え方と対比すると
機能よりも体験 
フルスペックよりも連続性、流れ 

という感じでしょうか?

必要なのは体験と流れ
となりますが、どちらも具体的にどのように作りだすのか
が問題です。

単一的な体験は観察する事である程度見える気がしますが、
流れも観察で見えるのか?!
という感じです。

「流れ」とは手順などと違い、恐らくユーザも意識していない流れ
という気がしています。

そんな雲のようなものを、どうやって掴むのか?!

観察するしかない気もしますが、
ただ観察しても分からない気もします。

具体的な着眼点を定めて見る必要がある気がしますし、
逆に先入観なしに俯瞰して見る必要がある気もしてきます....

更には、ケースバイケースでもあると思うので、
とにかく悶々としながら観察するしかないかなぁ....
いずれにしても観察しないと何も始まらないですね。

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